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zoom RSS ■寺山修司 展『ノック』■ワタリウム美術館

<<   作成日時 : 2013/09/11 05:58   >>

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現在、■寺山修司 展『ノック』■を開催中の
青山・ワタリウム美術館へ。

以前から斬新な企画で展覧会を行っているワタリウム美術館
今回は親交のあった寺山修司の1975年の市街劇「ノック」を中心に
彼の生涯を工夫の感じられる会場デザインで展開しています。

寺山修司による実験ショートフィルム(10分〜30分くらい)も
常時、何か所かで流されていて、立ち去りがたい雰囲気です。

外国人の観客や若い人たちも多く、今なお寺山修司の存在が
光を放っていることを感じさせています。

歌人としての寺山修司も素晴らしいですし、
『ノック』の全容を知らなかった私は衝撃を受けました。
森山大道の写真が寺山修司の言葉と共振しているかのような…
何回も入場できるチケットですから、会期中に再度訪れたいと
想っています。


ノック リーフレット


■寺山修司 展『ノック』■

2013年7月6日[土]〜10月27日[日]

月曜日休館 [7/15、9/16、9/23、10/14は開館]

11時より19時まで [毎週水曜日は21時まで延長]

主催:ワタリウム美術館 / ブルーノ・タウト展実行委員会


会場デザイン:フジワラテッペイアーキテクツラボ
グラフィックデザイン:グルーヴィジョンズ
協力:九條今日子 / 森崎偏陸 / 笹目浩之 / 萩原朔美 / 小竹信節 / 和田誠
   森山大道 / かわなかのぶひろ / 渡辺克巳

入場料:大人 1000円 / 学生[25歳以下] 800円 
    ペア券:大人 2人 1600円 / 学生 2人 1200円
    会期中何度でも入場できるパスポート制チケット


寺山修司(1935-1983年)ほどアナーキーで実験的な活動をした創作者はいなかったのではないでしょうか。10代の頃、青森にあってすでに天才歌人の名をほしいままにし、大学入学のため上京し、詩人谷川俊太郎の薦めでラジオドラマを手掛けます。台詞となった寺山の言葉は時代にのって走りだし輝き、ついに「天井棧敷」の活動へと続いていったのです。
本展のタイトル「ノック」は、1975年4月19日、東京阿佐ヶ谷近郊で行なわれた30時間の市街劇のタイトルです。「あなたの平穏無事とは一体何なのか? 」(寺山修司 朝日新聞 1975年5月7日)と地域住民の玄関の扉を突然ノックする、というものでした。「驚いた人が110番」(東京タイムズ 1975年4月20日)し、警察が駆けつけたという一幕もありました。本展ではこの市街劇「ノック」の真意を映像や多数の未発表資料などによって詳細に検証します。
また、当時「天井棧敷」が実施した夥しい数の海外公演が高く評価された点にもあらためて注目したいと思います。
1983年、寺山修司は47歳という若さで多くの謎を遺しこの世を去りました。寺山はいったい何を目指し、書を捨て街へ出ていったのか。本展ではその謎を現代の視点から探ります。

▼展示内容
第1章 青森・三沢時代(天才歌人誕生)
第2章 東京へ(シナリオの中で輝きを増す言葉)
第3章 あゝ、荒野(森山大道の写真)
第4章 幻想写真館と実験映画
第5章 演劇実験室「天井棧敷」


ノックから
1975年4月19日午後3時〜4月20日午後9時 30時間市街劇『ノック』から


寺山修司
寺山修司 
1935年 12月10日、寺山八郎、はつの長男として青森県弘前市紺屋町に生まれる。
1954年 18歳、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学。
1957年 21歳、病状の小康をみて、第一作品集『われに五月を』(作品社)が出版される。
1959年 23歳 谷川俊太郎のすすめでラジオドラマを書き始める。
       投稿した『中村一郎』(RKB毎日)にて、民放祭会長賞を受賞。
1967年 31歳 横尾忠則、東由多加、九條映子(今日子)らと演劇実験室「天井棧敷」を設立第一回公演「青森県のせむし男」を皮切りに「大山デブコの犯罪」「毛皮のマリー」と次々に上演する。
1975年 39歳 東京・杉並区で市街劇「ノック」(構成:幻一馬)上演中に警察が介入、新聞の社会面をにぎわす。
1983年 47歳 午後0時5分、肝硬変と腹膜炎のため敗血症を併発、死去。享年47歳。


ワタリウム
ワタリウム美術館
http://www.watarium.co.jp/museumcontents.html
〒150-0001
東京都渋谷区神宮前3-7-6
tel:03-3402-3001
fax:03-3405-7714
e-mail:official@watarium.co. jp
ワタリウム
東京メトロ銀座線「外苑前駅」より徒歩8分(青山通りを渋谷方向に向かい、
南青山3丁目交差点を右折。1つ目信号機左外苑道りに面しています)







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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
寺山修司「思い出すために」の中から3曲歌ったことがあるのですが、彼の詩は解釈が難しかったです。
「たぶん、こうであろう…?」と、指揮者の言うとおり歌ったら全国大会への出場が決まりました。(それ以来、遠のいていますが)

「ノック」、ドアの扉を開けて発見できる作品も多いのでしょうね。。
謎多き寺山修司、興味がわきますね!
ハーモニー
2013/09/11 15:52
ハーモニーさん、こんばんは!
寺山修司の「思い出すために」はなかなか難しい楽曲ですね!
彼の詩はちょっと哲学的な感じで…情緒だけではないものが詰まっていて、歌にして伝えることも大変でしょうね。。
こういう曲もハーモニーさんの合唱団は唱ってこられたのですね〜!

「ノック」という1945年に行われた市街劇をライブで知らず、とても残念なことをしました。今回の展覧会で、その時のショートフィルムを観ていて、寺山修司の天才・鬼才ぶりを再確認しました。
komichi
2013/09/11 21:25
「思い出すために」を聴いてみました。
彼について何も知らずに語るのも如何なものかと思いまして(笑)
これを歌う事は難しかっただろうとまず思いました。

彼が現代に居たら、どのようなものに変化していたのでしょう。
何を伝えたかったのか? 何を表現したかったのか?
溢れ出る想いは、何故?
とか、凡人の私は思ってしまいます。
木の葉
2013/09/12 09:39
最近、寺山修司さんの名前を良く目に・・やはり、鬼才だったんだなーと、改めて・・市街劇「ノック」、現代でもその感覚は斬新・・当時は後ろ指をさされたり、変人扱いされたでしょうねー、でも、その個性に惹かれて集まった人の多彩な事。
元妻の九條今日子さん、この方は現在でもお元気で寺山修司さんの作品や「天井桟敷」のメンバーをフォローされていて・・チャーミングで、この方なくしてはここまで続かなかったのではと思っています。
白いねこ
URL
2013/09/12 12:05
懐かしい名前ですね。
それだけ時代が動いてしまったのですね。

人間味のある芸術家が今では少なくなったのでしょうか?
心を擽られる芸術家に最近触れる機会がなくなりましたね。
昭和がだんだん遠のくのを感じてます(笑)。
あいべん
2013/09/12 20:19
木の葉さん。
私は寺山修司の詩人としての才能もすごいと思っていて、もう一度しっかり読んでみようと思っています。
天井桟敷には何度か行っていますけど…当時の私には表現がドロドロとした感じが馴染めず通い詰めるところまでは行きませんでした。
究極のアバンギャルドだったのだと思います。
komichi
2013/09/12 20:50
白いねこさん。
今年は没後30年であることで、あちこちで寺山修司の企画が開催されています。若いころに何冊か読んだ本を今の自分が読むと感覚も違ってくるような気がしています。
天井桟敷には行ったこともありましたが、「ノック」のことはこの展覧会で詳しく知りました。
これはもうアートの革新てき事件でもあって、その時の実験フィルムを何本か観ましたが非常に斬新でした。
大森大道の写真もこういうことのために存在すると言ってもおかしくないほど輝いていました。九條映子さんは離婚した後も彼をサポートしていて同志のような関係があり、現在も様々な企画に関わっていますね。岡本太郎と敏子さんの間柄にもちょっと似ているようにも感じます。。
komichi
2013/09/12 21:03
あいべんさん。
寺山修司のとつとつとした東北弁の口調から発せられる過激な言葉は当時の私にはとても印象的でした。
横尾忠則や四谷シモン、粟津潔…ユニークなアーティストもその時代に共生して、デザインをする私たちも多少なりとも影響を受けたと思います。
エネルギーのるつぼの昭和を感じますね。。
komichi
2013/09/12 21:13

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