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zoom RSS ■岸田吟香・劉生・麗子■知られざる精神の系譜

<<   作成日時 : 2014/03/26 22:31   >>

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現在、世田谷美術館で開催中の
■岸田吟香・劉生・麗子■知られざる精神の系譜へ。

岸田劉生の「麗子像」は
強烈な個性を持った作品として
多くの人の記憶に残っていることでしょう。

父・岸田吟香、岸田劉生、そして娘の麗子
3代にわたる個性的な生き方に焦点を当て
早世した劉生の画業の原点や麗子像に至る過程
また、劉生の絵画のモデルとしてあまりに有名な
麗子の生涯まで・・・

明治、大正、昭和の時代を生きた
三様をじっくり検証した展覧会。


岸田劉生


■岸田吟香・劉生・麗子■知られざる精神の系譜


2014年2月8日(土)〜4月6日(日)

10:00−18:00

毎週月曜日・休館

世田谷美術館・1階展示室


第一部:幕末・維新の先覚者、岸田吟香
第二部:父親ゆずりの反骨の士、岸田劉生
第三部:劉生没後の岸田麗子、表現者としての生涯

★公式サイト

童女図(麗子立像)
岸田劉生《童女図(麗子立像)》
1923(大正12)年4月15日 神奈川県立近代美術館蔵



二人麗子図(童女飾髪図)
岸田劉生《二人麗子図(童女飾髪図)》
1922(大正11)年3月21日
油彩・画布 100.0×80.3cm
泉屋博古館分館




石垣ある道
岸田劉生《石垣ある道(鵠沼風景)》
1921(大正10)年 
油彩・画布 50.1×61.0cm
平塚市美術館



静物1
劉生《静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)》
1917(大正6)年8月31日
油彩・画布、38.0×45.5cm
大阪新美術館建設準備室蔵



壺
岸田劉生《壺》
1916(大正5)年4月28日
油彩・板 37.8×26.7cm
下関市立美術館



岸田吟香(きしだ ぎんこう)
1833(天保4)〜1905(明治38)年
美作国(みまさかのくに)(現・岡山県)に生まれた吟香は、津山や江戸そして大阪で儒学や漢学を学んだのち、眼病治療のために医師ヘボンを訪ねたことをきっかけとして、日本初の本格的な和英辞書である『和英語林集成』の編集に携わりました。また、『海外新聞』などの民間新聞を発行。そして後年には、『東京日日新聞』(毎日新聞の前身)の主筆として日報社に迎えられ、内国勧業博覧会に際して日本初の美術批評を連載したり、台湾出兵に日本初の従軍記者として同行したりするなど、ジャーナリストとして幅広く活躍しました。その一方で実業家として、液体目薬「精リ水(せいきすい)」の販売、東京・横浜間の蒸気船定期航路の運行、訓盲院(盲学校)の設立など数々の事業も手がけました。享年72。


岸田劉生(きしだ りゅうせい)
1891(明治24)〜1929(昭和4)年
東京・銀座にて吟香の四男として生まれた劉生は、17歳のとき白馬会の洋画研究所に入り黒田清輝に師事。1911年には『白樺』の同人たちに出会って親交を結び、翌12年、高村光太郎らとヒュウザン会を発起しました。この頃より本格的に画家としての道を歩きはじめます。その後、ゴッホやセザンヌら後期印象派の影響を脱して、デューラーら北方ルネサンスの画風にならった細密な写実による作画に没頭。画友を得てこの時期、草土社を結成。さらに鵠沼にて30歳になる直前から日本画も描きはじめ、「東洋の美」へ急傾斜してゆきます。
次々と独自の画境を切り拓いていった果敢な生涯は、1929年、満州への初の国外旅行からの帰路、山口で客死したため突如閉ざされました。享年38。


岸田麗子(きしだ れいこ)
1914(大正3) 〜 1962(昭和37)年
東京・代々木にて劉生の長女として生まれた麗子は、劉生の代表作〈麗子像〉連作のモデルとして広く知られるようになりましたが、劉生没後の麗子自身の足跡を知る人は決して多くありません。父の教えを糧に、麗子もまた長じてのち絵を描き、画家として生涯にわたり精力的に制作と発表を繰り返しました。また、私淑した父の旧友・武者小路実篤による「新しき村」の運動にも参加して、演劇人としても数々の舞台に立っています。戯曲や小説や随筆など、執筆活動にも才能を発揮。大戦を挟んだ激動の昭和期に、三児の母でありつつ多彩な創作活動を展開した麗子もまた、父・劉生に同じく独自の信念を貫く求道の徒であったといえるでしょう。評伝『父岸田劉生』を書き上げた直後に急逝。享年48。








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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
お早うございます。

久し振りに二日連続の雨日でした。

写真で拝見するより現物の作品は観る人を引き込む
でしょうね。
時代を反映した素朴な素材が何かを伝えてるようです(^^)。
あいべん
2014/03/27 05:03
麗子像、教科書に載っていたので 今回の話は興味津々です。
岸田劉生氏の早世は やり残したことが多く無念だったことと思いますが、それよりも麗子女史の早世の方が哀しいことかと感じました。
でも 信ずるモノがあり、それに邁進出来た人生はうらやましくもあります。
おーちゃん
2014/03/27 08:04
あいべんさん、おはようございます!
こちらは昨日雨の予報でしたが夜中に降って…
今朝も春の霧雨のような感じです。
岸田劉生の「麗子像」は小さな作品ですが
強烈なイメージがあって引き込まれました〜!
岸田劉生は農村の生まれかと勝手に思い込んでいましたが
銀座生まれ実業家の息子だったことも知りました。
komichi
2014/03/27 10:11
おーちゃんさん、おはようございます!
「麗子像」の眼差しが強く、射られるような怖さを子供のころ感じていました。土着的なものに対して引いてしまうような気持ちもありましたが、いま眺めてみると、生きる意志の強さを感じ劉生の生き方の反映だったのかもしれない…とも感じました。
あまりに短い人生、それでも世に残る作品を生み出せたことは作家として幸せなことだと思っています。
美しく成長した麗子の写真なども展示してあり、劉生の描いた麗子としての自分と生身の自分を生きた麗子自身も画家となって作品を残しています。どこか父・劉生の感覚を引き継いでいるような感じがしました。
あまりにも短い突然の死は哀しいですね。。
komichi
2014/03/27 10:22
あまりにも有名な「麗子像」、岸田劉生の名前と共に記憶に残っています。
娘の麗子は平凡な一生を終えたんだろうと勝手に思っていたのですが、多彩な創作活動を行っていたんですねー。
吟香、劉生、麗子と3代にわたって強烈な足跡を残していることにびっくりです。
細密な写実による「静物・・」「壺」、こういう絵も描いていたんですね〜
白いねこ
URL
2014/03/28 21:36
白いねこさん、こんばんは!
岸田劉生というと「麗子像」という感じで印象に残っていましたが、今回の展覧会で素晴らしい静物画など…様々な絵画を残していたことを知りました。
父・岸田吟香の存在や麗子の一生も個性的で、我らしく…という意志を感じました。
komichi
2014/03/28 22:55

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