■サラ・ベルナールの世界展■横須賀美術館
9月に予定していた横須賀美術館行き
家族の病気や台風などでのびのびに…
会期終了の迫った26日の夜明け
藤野から渋滞を避け横須賀美術館のある
三浦半島突端の観音崎に向かい、早朝に到着。
30年来の友人と浦賀駅の待ち合わせまで
のんびり海を眺めて・・・
友人を誘って、はじめて入った横須賀美術館
テラスのある「横須賀アクアマーレ」で
海を眺めながら早めのランチコースで乾杯!
午後から「サラ・ベルナールの世界展」をゆっくり鑑賞。
フランス語を長年学んでいる友人と、
パリを拠点に活躍したサラ・ベルナールの女優人生や
プロデューサーとしての才能も持つサラ・ベルナール
その彼女が抜擢したミュシャやラリックの作品など
150点以上の作品からアール・ヌーヴォーの
息吹に触れた素晴らしい時間。



展覧会前に早めのランチを
海の見える美術館1階のアクアマーレで

メインのポトフの写真を撮り忘れ~(笑)
■サラ・ベルナールの世界展■パリ世紀末 ベル・エポックに咲いた華
2019年9月14日~11月4日
10:00~18:00
19世紀末から20世紀初頭、新芸術様式”アール・ヌーヴォー”が輝き始めた頃、 演劇・芸術・ファッションで人々を魅了していたのが、大女優サラ・ベルナールである。サラは、彼女の名声の端緒となった、『過ぎ行く人』の吟遊詩人役を好演し、人々から“黄金の声”と讃えられた。また、女優としての地位を不動のものとしたのは、文豪ヴィクトル・ユゴー作『リュイ・ブラース』の主演を務めたことによる。更にジャン・コクトーには、“聖なる怪物”と呼ばれ、劇場の女帝の異名を持ち、広く名声を博していた。
ミュシャやラリックの才能を開花させた美のパトロン
1894年、当時無名の画家だったミュシャに、サラ主演の劇曲『ジスモンダ』のポスター制作の依頼が舞い込んだ際、 ミュシャは彼女のために豪華で装飾性の高いポスターを制作した。そのポスターは人気となり、またたく間に、ミュシャは”アール・ヌーヴォー”の代表的な芸術家となった。サラのポスターに用いられたミュシャ独自のスタイルは、演劇世界だけではなく、消費社会の到来の合わせて商品のポスターにも応用されていった。ミュシャと同年に生まれたルネ・ラリックも、サラ・ベルナールに才能を見出された一人。1894年、サラの舞台装飾をきっかけに、プライベートの装飾具も手掛け、ジュエリー作家としての道が開けていった。1900年のパリ万博では、見事グランプリを受賞し、アール・ヌーヴォーを牽引した。
W&D.ダウニー《街着姿のサラ・ベルナール》
1902年 個人蔵
W.&D. ダウニー《『テオドラ』を演じるサラ・ベルナール》
1884年 写真 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション
アルフォンス・ミュシャ 《椿姫》 1896年
202.5×70.0cm リトグラフ・紙 京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
デザイン:アルフォンス・ミュシャ/制作:ルネ・ラリック
《舞台用冠ユリ》1895年頃 箱根ラリック美術館
サラ・ベルナールの世界展を見た後は
美術館屋上へ


屋内から・・・


2階の中庭を歩いて・・・
別棟の■谷内六郎〈週刊新潮 表紙絵〉展■へ
昭和というたからもの
岩崎俊一のコピーとともに
谷内六郎は、1956(昭和31)年の『週刊新潮』創刊から、没年となる1981(昭和56)年まで、1,336点にのぼる表紙絵を描き続けました。当館では1年に4回、作品を入れ替え、さまざまな切り口から谷内六郎の表紙絵の世界をご紹介しています。
今会期は、「谷内六郎〈週刊新潮 表紙絵〉展 昭和というたからもの」と題して、谷内六郎の表紙絵原画と、岩崎俊一(1947-2014)が絵に添えたコピーを取り上げます。
「年賀状は、贈り物だと思う。」(日本郵政)など、今もなお人々の記憶に残るコピーを生み出した岩崎と、昭和の暮らしを繊細なまなざしで描いた谷内の作品が出会い、かたちとなった書籍『昭和というたからもの』。この本で取り上げられている絵とコピーを紹介する展示となります。 私たちは、絵とコピーから、豊かな自然に恵まれた四季折々の暮らし、急速な経済成長によって変容していく日本の家族の姿など、多くのことを見出すでしょう。なつかしさを感じる方もいれば、まるで異国に足を踏みいれたかのように新鮮に感じる方もいるかもしれません。時代を鋭く、優しく見つめた二人のまたとないコラボレーションをご堪能ください。
>
谷内六郎の昭和の世界を堪能し
その後、美術館向かいの
観音崎京急スパッソで海を眺めながら
温泉浴~☆画像はウェブサイトから
早めの夕食は和食であっさりと・・・
浦賀駅で友人と別れ
渋滞も終えた高速道路を家路に。
疲れた心と身体が友人との会話や
海の風景で癒された
ちいさな横須賀旅を終えました。
★横須賀美術館
http://www.yokosuka-moa.jp/
神奈川県横須賀市鴨居4-1
家族の病気や台風などでのびのびに…
会期終了の迫った26日の夜明け
藤野から渋滞を避け横須賀美術館のある
三浦半島突端の観音崎に向かい、早朝に到着。
30年来の友人と浦賀駅の待ち合わせまで
のんびり海を眺めて・・・
友人を誘って、はじめて入った横須賀美術館
テラスのある「横須賀アクアマーレ」で
海を眺めながら早めのランチコースで乾杯!
午後から「サラ・ベルナールの世界展」をゆっくり鑑賞。
フランス語を長年学んでいる友人と、
パリを拠点に活躍したサラ・ベルナールの女優人生や
プロデューサーとしての才能も持つサラ・ベルナール
その彼女が抜擢したミュシャやラリックの作品など
150点以上の作品からアール・ヌーヴォーの
息吹に触れた素晴らしい時間。



展覧会前に早めのランチを
海の見える美術館1階のアクアマーレで




■サラ・ベルナールの世界展■パリ世紀末 ベル・エポックに咲いた華
2019年9月14日~11月4日
10:00~18:00
19世紀末から20世紀初頭、新芸術様式”アール・ヌーヴォー”が輝き始めた頃、 演劇・芸術・ファッションで人々を魅了していたのが、大女優サラ・ベルナールである。サラは、彼女の名声の端緒となった、『過ぎ行く人』の吟遊詩人役を好演し、人々から“黄金の声”と讃えられた。また、女優としての地位を不動のものとしたのは、文豪ヴィクトル・ユゴー作『リュイ・ブラース』の主演を務めたことによる。更にジャン・コクトーには、“聖なる怪物”と呼ばれ、劇場の女帝の異名を持ち、広く名声を博していた。
ミュシャやラリックの才能を開花させた美のパトロン
1894年、当時無名の画家だったミュシャに、サラ主演の劇曲『ジスモンダ』のポスター制作の依頼が舞い込んだ際、 ミュシャは彼女のために豪華で装飾性の高いポスターを制作した。そのポスターは人気となり、またたく間に、ミュシャは”アール・ヌーヴォー”の代表的な芸術家となった。サラのポスターに用いられたミュシャ独自のスタイルは、演劇世界だけではなく、消費社会の到来の合わせて商品のポスターにも応用されていった。ミュシャと同年に生まれたルネ・ラリックも、サラ・ベルナールに才能を見出された一人。1894年、サラの舞台装飾をきっかけに、プライベートの装飾具も手掛け、ジュエリー作家としての道が開けていった。1900年のパリ万博では、見事グランプリを受賞し、アール・ヌーヴォーを牽引した。
W&D.ダウニー《街着姿のサラ・ベルナール》
1902年 個人蔵

W.&D. ダウニー《『テオドラ』を演じるサラ・ベルナール》
1884年 写真 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション
アルフォンス・ミュシャ 《椿姫》 1896年
202.5×70.0cm リトグラフ・紙 京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
デザイン:アルフォンス・ミュシャ/制作:ルネ・ラリック
《舞台用冠ユリ》1895年頃 箱根ラリック美術館

サラ・ベルナールの世界展を見た後は
美術館屋上へ



屋内から・・・



2階の中庭を歩いて・・・

別棟の■谷内六郎〈週刊新潮 表紙絵〉展■へ
昭和というたからもの
岩崎俊一のコピーとともに

今会期は、「谷内六郎〈週刊新潮 表紙絵〉展 昭和というたからもの」と題して、谷内六郎の表紙絵原画と、岩崎俊一(1947-2014)が絵に添えたコピーを取り上げます。
「年賀状は、贈り物だと思う。」(日本郵政)など、今もなお人々の記憶に残るコピーを生み出した岩崎と、昭和の暮らしを繊細なまなざしで描いた谷内の作品が出会い、かたちとなった書籍『昭和というたからもの』。この本で取り上げられている絵とコピーを紹介する展示となります。 私たちは、絵とコピーから、豊かな自然に恵まれた四季折々の暮らし、急速な経済成長によって変容していく日本の家族の姿など、多くのことを見出すでしょう。なつかしさを感じる方もいれば、まるで異国に足を踏みいれたかのように新鮮に感じる方もいるかもしれません。時代を鋭く、優しく見つめた二人のまたとないコラボレーションをご堪能ください。
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谷内六郎の昭和の世界を堪能し
その後、美術館向かいの
観音崎京急スパッソで海を眺めながら
温泉浴~☆画像はウェブサイトから

早めの夕食は和食であっさりと・・・
浦賀駅で友人と別れ
渋滞も終えた高速道路を家路に。
疲れた心と身体が友人との会話や
海の風景で癒された
ちいさな横須賀旅を終えました。

http://www.yokosuka-moa.jp/
神奈川県横須賀市鴨居4-1
この記事へのコメント
長年の友と待ち合わせて美術館。もうここから羨ましい! そして素敵な景色を見ながらの食事! 長年の友は居てもこんな感じにはならない。。。そんな場所もない。。。従兄弟と戸畑の美術館に行きましたが、景色がねぇ~、残念! 話は楽しかったのでそれはそれでよしですけど(笑)
「疲れた心と身体が友人との会話や
海の風景で癒された」このKomichiさんの気持ちが良~く分かります。とても大事な時間だと思います。
もう35年くらいのお付き合いになる目黒に住む友人と
浦賀駅で待ち合わせをして、横須賀美術館に行きました。
以前から行きたいと思っていて、やっと叶いました。
土曜日だったので、まだ暗いうちに家を出て
早朝の海を眺めました。
台風の爪痕はありましたけど、海は穏やかでした。
家族の急病入院や台風の被害など…
身近にさまざまなことがあり、疲れた心身に
友人との会話は救いになりました~☆
横須賀へは合唱団の全国大会で1度だけ行ったことがあります。
海の見えるレストランでお食事、優雅ですね♪
谷内六郎さんの表紙絵、とても懐かしいです☆
ほんわかします。
ご家族の病気、今は回復に向かわれているのですね?
わが夫も最近、心臓の精密検査を1日がかりで受けてきたばかりです。今のところ手術の必要なし!と言われ、 ホとしています。
まだ、藤野は台風の爪痕も多く残っていますけど
友人とずっと先延ばしにしていた横須賀美術館に
出かけました。
穏やかな海を眺めていると台風がうそのような気になりましたが、横須賀のあちこちの道路も木々が散乱していたり、ぬかるみになっていたり・・・はいれない箇所もありました。
それでも朝から一日ゆったり友人と過ごして、気持ちが少し落ち着きました。
ご主人も心臓のご心配だったのですね~。
大ごとにならずに本当によかったですね。
我が家もなんとか落ち着いています。
それとは別に、女優さんでプロデューサー、優れたセンスの持ち主だと思います。
海の見える美術館、海か見えるテラス?開放的で素敵な場所ですね。
谷内六郎氏の挿し絵、最近あまり見る機会有りませんでしたが、素朴な画風、ノスタルジーを感じます。
サラ・ベルナールのことは、有名な女優として
認識していましたが、彼女のプロジュースの力など…
様々な才能のことは詳しく知りませんでしたから
今回の展覧会で彼女の家系など、特殊な環境からも
サラ・ベルナールが創り上げられたのだと思いました。
心が沈んだり疲れたときは、海を眺めると鎮まります。
友人との久しぶりの会話も元気をもたらしてくれました。
谷内六郎は昭和の子どもの世界やとりまく風景など…
眺めているだけで、やさしい気持ちになります~☆
こちらの美術館では季節ごとの谷内六郎展を開催
されているようです。
絵に添えられた岩崎俊一のコピーが素晴らしいです。
「サラ・ベルナールの世界展」は粋な企画展ですね。単なる女優ではなく大女優であり、更に世界的な芸術家を育てたという功績もあるのですね。
ミュシャのポスターは非常に印象的で独特な世界観があります。ルネ・ラリックも彼女の舞台芸術が飛躍のきっかけだったのですか。
その対照的な表現にも思える谷内六郎展。昭和を暖かく描いた「週刊新潮 表紙絵」はやはり懐かしさを感じさせますね。
ミクミティさんは、もう何度も訪れていらっしゃるのですね~!
以前から行きたいと思っていながら、やっと叶いました~☆
約束の時間よりかなり早い早朝に着いたので、観音崎も
散策しましたが、台風の影響か、まだ荒れている場所も多く
奥まで入れませんでした。
サラ・ベルナールはフランスの演劇女優と言う知識しかなかったのですが、今回の展覧会で才能あるアーティストを見出し育てるような能力も授かっていたようで、ミュシャやラリックもそれによって世に出たことを知りました。サラ・ベルナールはセルフプロデュースだけでなく、優秀なプロデューサーだったのですね~!
谷内六郎展は別棟にあって、昭和の懐かしい風景が展開されて・・・
子供の頃に見た情景も想い出されました。
谷内六郎氏の「枯れ葉の洋装店」の絵が私の目に留まりました。いつか、こんな写真を撮りたいなと思います。
以前から行きたいと願っていた横須賀美術館に
友人と出かけ、清々しい秋の海を眺めて
柔らかな気持ちが戻ってきたような気がします。
横須賀美術館別煉には谷内六郎氏の美術館もあって
昭和の懐かしい情景が温かなイラストで描かれていて
ほっと幸せな気持ちになりました。
「枯れ葉の洋装店」お住いの富山には、いまも
このような風景が見られそうですね~☆
ミュシャで知ったサラ・ベルナールのプロデューサーとしての目は、今も世界に影響を与えています。
そんな目を持っている舞台人・映画人~才能を持つ芸術家にお金を出すことが出来る人~は、現在いるのか…いない様な気がします。
それだけサラ・ベルナールは傑出した才能だったのでしょう。
谷内六郎氏の絵…昭和の子供にとって、大切な何かを感じさえる絵。
ボクに田舎はないのですが、何故か見たことある風景です。
サラ・ベルナールの舞台写真はあっても
どんな舞台空間だったかは、見たものしかわからない
時代の大スターで、一級のプロデューサーだった
サラ・ベルナールの才能は現代でも見当たらないような気がします。
ミュシャやラリックという現代でも通用する才能を見出した直観力は
ほんとうに凄いですね~!
別棟の橘内六郎さんの展示室は落ち着く小さな空間が2つあり
私の子どもの頃にはぎりぎり見かけたような風景が描かれていて
なつかしさに溢れました~☆
一緒に添えられた文章も素晴らしく、ひとつひとつ読み進みました。